無銘 -Mumei- 4-352
通常価格:¥176,000
税込
刃長18.95センチ 反り無し
元幅25.4ミリ 元重ね6.1ミリ
物打幅22.5ミリ 物打重ね5.4ミリ
裸身重量127グラム
明治後期~昭和初期 The latter period of Meiji era ~ The early years of Showa era
昭和58年3月1日 高知県登録
附属 白鞘、真鍮はばき
本短刀は平造で庵棟。表には昇り龍、裏には梵字を刻した意欲的な作です。地鉄は小板目がよく錬れて緻密に詰み、無地風となって静謐な表情を見せています。刃文は匂口明るく冴え、互ノ目乱れを基調に、小振りの互ノ目三つと、左右に大きく開いた互ノ目を交互に規則的に配し、鋩子は乱れ込んで先丸く返り、いわゆる「地蔵鋩子」を呈しています。
一見すると洋鉄による素延べ造りのようにも映りますが、刃文を仔細に観察すれば沸が付いており、返りも確りと焼かれていることから、和鉄が用いられていることは明らかです。
現在はかなり廉価な研磨が施されており、伝統的な研磨手法ではなく、酸を用いた刃取りがなされているため、刃取りの表情が硬く、本短刀本来の魅力を十分に引き出せていません。是非とも真面目な研磨を施し、地刃の冴えと刃文の妙味を本来の姿でご鑑賞いただきたい一口です。
附属の白鞘には「子爵牧野忠篤様ヨリ拝領」との書付が見られます。これを直接裏付ける資料は現存しませんが、本短刀の制作年代を考慮すると、牧野忠篤子爵が知人の入隊祝などの折に贈呈した可能性は十分に考えられ、由緒を想像させる興味深い伝来です。
※牧野忠篤(まきの ただあつ、明治3年10月12日[1870年11月5日]―昭和10年[1935年]4月11日)は、日本の華族・政治家。旧越後長岡藩牧野家15代当主で、子爵。貴族院議員をはじめ、新潟県長岡市初代市長、帝国農会会長、日本中央蚕糸会会長、東亜同文会評議員、日本石油重役、華族世襲財産審議会会員、教科用図書審査員委員等を歴任し、明治・大正・昭和前期の政界において長く重鎮として参画した人物です。