陸奥白川住固山宗俊 文久三年八月日- Mutsu Shirakawa ju Koyama Munetoshi - 2-1843
通常価格:¥2,860,000
税込
刃長71.85センチ 反り1.4センチ
元幅32.8ミリ 元重ね9.1ミリ
物打幅24.4ミリ 物打重ね6.8ミリ
横手位置幅22.0ミリ 松葉先重ね6.3ミリ
裸身重量1,013グラム 拵に納めて鞘を払った重量1,420グラム
江戸後期文久3年 (1863) The latter period of Edo era
昭和59年7月31日 大阪府登録
附属 特別保存刀剣鑑定書、日本美術刀剣倶楽部鑑定書、赤茶石目変塗鞘打刀拵、素銅地金着はばき、白鞘、継木
江戸時代後期、幕末の名工、固山宗次の一族、宗俊の堂々たる作品です。宗俊はその名が示す通り、幕末の名工、固山宗次の一族で、奥州白川に住して槌を振るいました。
銘鑑によると奥州白川に同名で二代おり、本作はその年紀より二代宗俊の作と鑑せられます。
宗俊の通称は「伊三郎」で、「白龍子」と号していました。作刀していた期間は、1854~1868年(嘉永7年~慶応年間)であったと考えられています。明治の廃刀令等、時の流れに影響され、刀剣鍛錬を断念せざるを得なくなったことは非常に惜しまれ、明治21年に53歳で亡くなった都合もあって、現存作は少なく、いずれの作品も貴重な遺作と言えます。
作風は、茎の仕立や銘振りなど、全てが宗次の刀に似ており、小板目がよく詰んだ綺麗な地鉄に、刃文は互の目丁子を焼き、やや小沸が付くのが特徴です。 この刀は元先の幅差が頃好く開き、切先やや延びごころ。反りやや浅目で茎は長く、重ね厚く頑丈な造り込み。地鉄は固山宗次によく似て小板目肌よく練れて地沸が付き、地景細かに入って精美なることこの上無し。刃文は互の目で焼き出し、明るく冴え、匂口は締りごころながらもふわりとした柔らかさを感じさせ、刃中には足が頻りに入り、帽子は横手で互ノ目を焼き込み、焼きたっぷりと、直ぐに先丸く返る。
堂々たる剛刀でありながら、全体のバランスが頗る優れて美しく、地刃共に一点の破綻もなく焼き上げているその技量の高さには、流石に幕末の名工、宗次一族の卓尾を飾る刀工であると畏敬の念を感じさせ、これだけの重ね厚い剛刀でありながら、手元重心で扱い良さを感じずには居られない。当に宗俊の高い技術力を余すところなく示した名品中の名品。茎の状態も茎千両の言葉に相応しい抜群の状態を保っています。
附属の拵は、長年大切に扱われてきたことが一目で伝わるほど保存状態が極めて良好です。特に存在感のある大振りの鐺と、蜘蛛の巣を題材に精緻に意匠された金具は、観る者の視線を強く惹きつけ、印象に深く残ります。さらに、切羽一枚に至るまで後補やすり替えの痕跡は見られず、本刀と共に正しく伝来してきたことを物語る、誠に希少価値の高い逸品です。