(菊紋)山城守藤原國清 鍛南蠻鐵釼之(初代) - Yamashiro no kami Fujiwara Kunikiyo(1st Gen) - 2-1751
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初代山城守国清は松平忠昌公の抱え工で名を吉右衛門と言い、三代島田助宗の子として信州松本で生まれました。
初銘は助宗。後に上洛して堀川國広門下に入り、銘を国清へと改めています。 師である國廣没後は越後高田の松平忠昌に仕え、更に忠昌が越前福井に転封の際には、主君に従って同地に移ったと伝えられています。寛永四年山城大掾を受領。菊紋を切ることを許され、翌年に山城守へと転じ、慶安二年に六十歳で没しています。國清銘は数代の継承が見られますが、中でも初代が上手で位高く、二代國清は初代の子で、作刀は初代同様に直刃の作が多く、肥前刀さながらの作風を示したものがあります。また、一般的に初代作には「一」の字を使用しているものはなく、二代以降の作に「一」の字が切られています。
この刀は約二尺五寸の長寸に、身巾広く重ねしっかりとして反り浅 く、表裏に丸留めの棒樋を力強く掻いたガッシリと「した勇姿で重量があり、地鉄は小板目がやや肌立ち、地景入り、地沸厚くつく。刃文は互ノ目に乱れ交じり、下半は小のたれ調に尖り刃が入り、沸、匂い深めに荒沸がつき、物打ち辺は華やかで砂流しかかり、刃中明るく覇気があり、処々金筋かかる。鋩子は直ぐに飛び焼きを置いて小丸に返っています。
姿・刃文に覇気のある初代国清の優作。國清には作刀に菊紋を刻すものがあり、これは 寛永四年、山城大掾受領とともに紋を切ることを許されたものであろう。直刃の作品が多いが、稀に本作のような互ノ目乱れ、また湾れに小乱れ交じ りを見る。康継や貞國などの下坂系とは系統を異にするが、越前を代表する刀工の一人であることに間違いない。本作は長寸で身幅があり、南蛮鉄鍛えの裏銘も貴重で、國清最高傑作と言える優品の一振です。
※令和7年6月特別保存刀剣同時審査合格