肥後守國康- Higo no kami Kuniyasu - 2-1741
通常価格:¥2,640,000
税込
刃長(打刀)71.3(二尺三寸五分二厘九毛)、
(脇指)52(一尺七寸一分六厘)センチ 反り(打刀)1.6(五分二厘八毛)、
(脇指)0.8(二分六厘四毛)センチ
元幅29.331.3ミリ 元重ね7.07.3ミリ
物打幅23.6ミリ 物打重ね5.2ミリ
横手位置幅22.4ミリ 松葉先重ね5.0ミリ
(打刀)裸身重量765グラム、
(脇指)裸身重量575グラム
(大小共)江戸前期寛文頃(1665~) The early period of Edo era
(大小共)昭和26年5月18日 愛知県登録
附属 (大小共)特別保存刀剣鑑定書、(大小共)素銅地金着二重はばき、白鞘
肥後守國康は名を小林源左衛門と称し、摂津国で活躍した初代河内守國助の三男で、兄弟に二代河内守國助(中河内)、武蔵守国次、伊勢守国輝などの名工達を抱えた名家出身の刀工です。
作風は二代國助に酷似しており、國助に比して作品が少ない点から察するに、兄國助の代作を多く務めたものと推測されます。
この大小は昭和26年5月と、早い時期の大名登録刀で、愛知県の登録であることから、おおよそどこに伝来していたのかを察することができます。銘振りも全く同じであり、大小として注文されたことが覗えます。大刀の方は一寸程区送りがなされており、これが無ければ大小で重要刀剣指定を受けていたことでしょう。ただただ区送りが惜しまれますが、これも江戸時代に幕府によって刃長が定められた経緯からなるもので致し方なく、その時代を象徴する作品と言えましょう。
大小共に反りは浅目ですが、元先の幅差は常に見る作品に比して開いていないのは、剛刀を好んだ尾張徳川家に従った故でありましょう。緻密に錬られた小板目杢交じりの地鉄が美しく纏まっており、地沸が付いて精美。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目に丁字乱れで、中河内(二代國助)に見られる拳形丁字風の刃が交じり、乱れの谷には砂流が見事に現れ、鋩子は直ぐに先丸く返っており、総体に覇気溢れた出来口を誇る作品です。
尾張徳川家またはその重臣を中心に、過去の売立帳を繙けば、本大小の出自も明確にできるものと思われます。御興味ある方は是非伝来をお調べになって下さい。